文化の鼓動を生む。

人と街をむすび、時の文化が響く場所へ。

神田明神は1300年前からずっと、先進の文化をつむぎ、発信し続けてきました。

たとえば江戸時代には江戸国学という学芸文化や茶道文化が発祥。
境内では実に多彩な行事が催され、時代の文化が脈打ち花開く場所でした。
現代では歴史文化の維持保存のみならずポップカルチャーとも共鳴し、
神田祭においては流行やデジタル技術を取り入れて、
新しい日本の祭りの創造をめざしています。

なぜ、神田明神がこれほど寛容なのか。

それは、いつの時も今この瞬間を生きる人々とともに神田明神はあるからです。

氏神として守る神田、日本橋、秋葉原、大手町・丸の内などが、
伝統を有しながらも新しい価値を生み出し続けている街だからです。

文化とは時時の人々の生き方や街のあり方を認め、
受け入れていく先に生まれるもの、そう私たちは考えます。

正統か異端か、ではありません。

人と街と神田明神。価値観が流動的なこの場所にあり、長い時間の節々で
さまざまな縁をむすび、ともに歩んできたからこそ、常に江戸・東京の、
さらには日本の新しい文化を育んでこられたのです。

5年後、10年後、さらには100年後。世の中は大きく変わっていくでしょう。

どんな明日が来ようとも、神田明神は時の文化の鼓動を生み、響きわたらせる場でありつづけます。

神田明神創建1300年

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